
川越城は長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子により築城され、上杉氏六代、北条氏四代の持城でありましたが、当時は江戸時代に比べると小さな居城だったそうです。
この城は、徳川の世となり松平信綱が城地を拡大し、八郭・三櫓・十二問を持つ親藩、譜代大名の居城となったことで有名になりました。
天守閣が無かった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高いところにあった富士見櫓が天守閣の代わりとなっていたそうです。

今日では、木々や建築物の為、すっかり眺望も失われてしまいましたが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り、富士山が望めたそうです。

本来、城の構造及び建造物は戦略上の都合もあり、その大部分は明らかにされることなく、正確な規模は分からないのですが、江戸末期の慶応二年に川越城を測量した記録によれば、この富士見櫓は長さ八間三尺(約15メートル)、横幅八間(約14メートル)あったと記されているそうです。



頂上付近には、御嶽神社、浅間神社、富士見稲荷の3社が祀られていました。

現在、富士見櫓跡の高台に登る事はできますが、残念ながら櫓らしいものは何も残されていません。
明治維新後の廃藩置県にて堀は埋められ、土塁は壊されてしまったそうです。
郷土の歴史に興味がある方は、是非足を運んでみて下さい。
イベントたけし
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